2007年03月12日

人間万事塞翁が馬3

浪人したので、高校の友人から1年遅れで自動車免許をとった僕は、
取得したその日に、大事故を起こした。

事故の顛末は、こうだ。

免許をとってうれしくなった僕は、その晩、高校の友人と待ち合わせて、
それぞれの車でドライブに行った。
見た目で坊ちゃんぽいと言われることが多かったので、そのギャップ
が笑えるかなという考えから、シャレで、義呂珍(ギロチン)という
暴走族気取りのチーム名をつけた。

チームの構成員は、僕一人。よって総長。が、車はまだない。

親父殿の車を勝手に拝借し、そこら中を走り回って、もう帰ろうかと
なったとき、その友人が、帰り道を教えてやるからついてこいといって、
前を走った。
それがとんでもないスピードだったが、免許取り立てとはいえ、
ギロチンの総長であるから、負けるわけにはイカンと思った僕は、
床も抜けよとばかりにアクセルを踏み続けた。
街頭もない周りが田んぼの30km道路で、行く先は直角カーブだった。
前を行く友人の車のテールランプがフッと消え、アッと思ったときは、
時既に遅し。

フルブレーキングしたが、まるで止まらず、そのまま壁に突っ込んだ。

当時、ABSはなかった。あったとしても関係ないくらいの速度だったと思う。
気がつくと、助手席の床は抜け地面が見え、ボンネットからは今にも爆発
しそうな煙があがっている。
目の前では、民家の塀が崩れている。
幸い外傷は無かったが、救急車が呼ばれ、念のため病院に連れて行かれた。

あとで聞いたら、壁の被害は、60万円、車は、新車で200万くらいだった。

免許をとったばっかりだったので、無保険だ。



つまり、借金260万円



それをどうしたのかは、いずれ機会があれば話そう。

とにかく、親には顔向けできない状況になったため、まったくの無傷だったが、
この危機をやりすごすため、ムチウチ用のコルセットをし、無口な人になった。
それは、精神的、肉体的にダメージを受けてますよ作戦で、狙った効果は、
”怒られるコトを先延ばし”である。
ある程度見破られてはいたものの、生きててヨカッタ的なムードも流れ、効果はあった。

そのころ、事故時に先導していた友人が、コトの顛末を新聞報道の事故記事に
みたてた文書を作成し、友人どもに配り歩いていた。
書き方が猛烈に面白かったので、あっという間に友人達に広まり、先導した責任を
感じていないのかと憤慨したが、自分も何度もその文書を読んで笑った。

そうするうちに、笑いは自分の心を癒していることに気付いた。

それで、毎回会う人ごとにおもしろおかしくこの件を話すことにすると
開き直りからか、気分がどんどん楽になっていった。
(逆に親の気分は、どんどん悪くなっていったに違いないと思われる。)

そのうち、事故をおこしてしょんぼりした知り合いから、事故後の気持ちの
処理はどうしたらいいのか?という相談の電話が入り、事故相談窓口じゃねー
と思いながらも、ネタにして復活せよとアドバイスをしてあげると、彼は救われた
ようだった。そして、彼とはとても仲良くなった。

その後、その彼の高校時代の友達を紹介され、その友人とも仲良くなった。
それが今のCTOだ。

CTOに出会わなければ、アンカットテクノロジーは確実にないと言える。

だから、あの事故がなければ、この会社はなかった。


かもしれない。


ちなみに
先導をして事故のきっかけを作り、新聞記事を模倣した文章を書き、噂を
広めた男は、本物の新聞記事を書いている。
  
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2006年04月17日

決算書2

2003年の夏前ごろ、社員の紹介でエンジニアの面接する機会があった。

面接のときに、何か質問はありますか?と聞くと

「決算書を3期分見せてください。」

といわれ、特に隠すこともないと思い、その場で見せた。



その後、無事入社することになり、しばらくして、

「やっぱり、心配だった?」と聞くと

「そりゃそうですよ。」

Σ(゚д゚lll)ガーン

「なにしろ、会社のことを調べようにも帝国データバンクにも載ってませんでしたから、
調べようがなかったですし、そこは、知り合いがいるとはいえ、

信用しろってのが無理な話ですよ。

決算書を見せてくれなかったら、断ろうと思ってました。」


ですよね。。。(つД`)



現在、当社の情報は掲載されているはずです。

それはともかく、入社の意思があって、最終決断をする場合に、決算書を見せてというのは、
その会社の情報を開示の姿勢をみるうえでいいかもしれないと思った。  
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2006年03月18日

初の退職者3

2003年の春の髭の男の入社と入れ替わりのように、
創業時からのメンバーで会社の名付け親でもある奴が会社にこなくなった。

前にも書いたが、アンカットとは、宝石のカッティングされる前の状態の意味で、
まだ何もできていないけれど、これから何かをやるだろう自分たちにふさわしい
と思って、他のいくつかあった彼の提案の中からみんなで決めた。

彼の言葉には不思議な力があり、芸術的ですらあった。

彼は嘘のような話をするが、その内容は抜群に面白いうえに、豊富な知識が散りばめられている。
出来すぎているが故に、嘘ではないかという若干の疑念を抱えながらも楽しみ、感心する。
多くはその真偽が確かめようがない話だが、中には実際に本当だったことがあとでわかる場合もあり、
僅かに残された疑念も払拭されていく。
特に20年来の付き合いの僕は、疑念が払拭される奇跡的な瞬間に何度も立ち会った経験がある。

そんな長いつきあいの彼だが、彼が思い描いた未来と我々が考えとズレてきていたんだろう。
2003年の夏ごろ会社を辞めることになった。

辞めるときはいろいろあって、正直ムカついた。が、今は治ってる。
今まで何かあると自分の考えと世の中標準と思われる考えを天秤にかけて判断していたけど、
相手の立場の割り切れないなにかや理屈じゃねーんだよってことも受け入れるべきだと思うようになった。

  
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2006年02月26日

有限会社3

有限会社と聞いて、どんなイメージがあるだろうか?
会社を作った当時、資本金が1千万円に満たなかった我々には、株式会社を選択することはできなかった。
有限会社を設立した我々は、そのまま会社を大きくしていこうとがんばっていたけど、
ある日、創業時の7人のメンバーのうちの一人から、株式会社にしてくれと言われた。

なんで?と聞いたら、


「カッコ悪いから」



わからなくはなかった。
実際、自分も会社を作ろうと思っていろいろ調べるまではそう思っていたし、
一般的にはそういうイメージはきっとある。
体裁を整えることは大事かもしれない。何しろ間違った認識というのは、世の中に多々ある。

半年後、株式会社アンカットテクノロジーになってから、キャバ嬢に名刺を渡したときのこと。

「前株じゃん?スゲー」

「え?なんで?」

「後株で始まって、一定以上大きくなったら、前株になるんでしょ?」

「ああ、まーね」



キットキミハダマサレテイル・・・



  
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2006年01月26日

髭の男1

まだサラリーマンとして働いていた8年あまり前のこと、
顧客の情報システム部で運営しているヘルプデスクのキャプテンを
任されていた時期がある。

ある日、顧客の担当者から言われた。

「子会社に転職してきた奴がいて、研修をやるかわりに、
    ヘルプデスクにぶち込むんで、教育しておいてクレ ヽ(`Д´)ノ 」

そんな業務は契約にないなぁと思いながら、経歴をチェックしてみようと
なにげなく履歴書に目をむけると、髭を蓄えたままの写真を使っているではないか。

しかも、その髭は無精髭ではなく、バッチリと整えた乱れのない髭だったことから、
私は、神経質で自己主張の強い性格、あるいは

オレ流

だと直感した。

オレ流を教育するのは、無理だなぁ・・・と思い、適当に流すことにしたが、
教育するまでもないスキルを持ち合わせていたので、予想に反して楽だった。

当時は、あまり自己主張の強い感じのサラリーマンはいなく、
特に私のいた会社で髭なんぞはやしていようものなら、
毎月の売り上げを人の数倍やらなくてはならないムードだった。

そんな時代背景であったので、彼にその髭はポリシーか?と尋ねると、
転職活動中、何社か受かったんだけど、どこも髭を剃れといったが、
この会社は何も言わなかったので、この会社を選んだと答えた。

よくわからないが、とても大事なもののようだった。

その後、彼と仲良くなり、自分たちのビジネスについて語りあった。
そして、チャンスがあれば一緒にやろうということになり、3年前に合流して、
今は当社の取締役であり、もちろん、髭はそのままである。


髭の本当の理由については、まだ知らされていない。





  
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2005年12月20日

営業3

大学を卒業してから、新卒で入った会社で飛び込み営業をやった。
最初は、とりあえずコピーとかパソコン売ってこい、お前のエリアはここだよと言われて、
カタログを持たされて放り出された。
このときは、10件に8件くらい怒られて、残りの2件は丁寧に断られる感じで、
社会を甘く見ていた自分は、相当なピンチだと思っていた。
しかし、サラリーマンだったので、多少サボることも出来たし、同期もたくさんいたので、
いろいろ愚痴を言い合ったりすることもできた。

起業して初期の頃、具体的に言うと2002年の夏頃は、それ以上に大ピンチだった。
さすがにソフトウェア開発の営業で飛び込みしても意味がないので、知り合いのツテで、
いろんな会社にアポイントをとって営業にいった。
とりあえず、よくわからんが会ってくれるという相手に時間の指定もなかなか出来ないので、

とにかく相手に合わせるようにして行く。
行ったら次も会えるように何か宿題を作る。

積み重ねていくと地獄のようなスケジュールになり、短縮できるところは移動時間しかないので、
急ぐとシャワーを浴びたように汗まみれになった。

しかし、ここでサボったりすると即自分のクビを締めることになるし、無駄かもしれないが、
何もしなければ、何もないと考えると、どんなに大変でもやるしかなかった。
具体的な成果がなかなかでなかっただけに、肉体的にも精神的にも辛かった。

汗まみれになったときはよく、トイレでスーツを脱いで裸になり、
GASTBYのアイスデオドラントボディペーパーで体を拭いた。

その後、冷房の効いた部屋に入ったあとの全身のクール感が忘れられない。


が、もうやらない。




やむを得ない場合はやるかも。  
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2005年11月21日

レンタルオフィスから普通のオフィスへ2

2001年の12月から借りていた恵比寿のステップサポートというレンタルオフィスは、3人部屋だった。
以前の一人部屋より、大ゴージャスな気分だったとはいえ、1名増えて、常時4名になると一気にピンチになった。
追い打ちをかけるように、あらかじメールのサポートセンター業務を行うことになり、2名を預かることになると、
さながら奴隷船の船底のようだった。


さすがにみんな殺気だってきたので、広いオフィスを探しだし、2002年8月に引越することになった。
今度は、レンタルオフィスではなく、かつて、ブラザーコーンの事務所があったこともあるほどのちゃんとした事務所だ。
レンタルオフィスは、家賃は24万くらい。広さは忘れたが、4坪なかった気がする。
敷金、礼金がなく、光熱費及び回線利用料が込みだった。

新規に借りたオフィスは、当時の恵比寿の家賃相場の坪単価2万円で13坪、家賃26万円の物件だった。
イニシャルコストは約200万円(敷金礼金で150万円、引っ越し代5万、その他家具など30万)。

当時にしては大勝負だったが、独立して1年半、やっとオフィスに辿り着いたかと感慨深いものがあった。

  
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2005年11月15日

あらかじメール3

久々に社史

2002年の夏ごろのアンカットの状態はというと、大手飲料メーカーのネットキャンペーンの
大型(当時)開発案件が終わり、キャッシュ的には一息ついたところだった。
しかし、定期収入となっている営業外人部隊では、思うような成果があがらず、
いつ終わりになるかわからない状況の中、新規の開発案件もイマイチ見えていないかった。
つまり、今後については、かなりの暗雲が立ちこめている状況だったといえよう。

そこで救世主と思われたのが、「あらかじメール」だった。

時間指定送信の出来るメールソフトで、考案したのは、Nぐもという知人だった。
そのアイデアをきいて、N氏の知人である動物占いの作者で、政治家を目指しているというA氏(当時34)と
そのタニマチ的存在という開発会社経営のB氏(60才?)が、新会社を作って、事業化することになった。
以下、そのときの枠組み

事業主体(株)グローツコミュニケーションズ 代表取締役A氏 株主B氏
売上に応じたアイデア料として、アドバイザー  N氏
サポートセンターの運営、テクニカルアドバイス アンカット

最終的には失敗ということになる。

まず、パッケージソフトウェアなので、流通に強い会社に卸を請け負ってもらうことになった。

そのころになって、アイデア料に関して、グローツとN氏でもめて、N氏が離脱。
両者の言い分を聞くと、180度違うため、アンカット的には困惑。
出来上がったソフトウェアは、製品レベルにはほど遠いまま発売を強行することになるも売れず。
一般ユーザー向けに価格を安くした製品を別途開発、発売したがそれも売れなかった。
徐々にうちへのサポートセンターの代金も滞るようになり始めたので、うちは撤退した。
この間、約1年。
その後、社長のA氏は、いつの間にかいなくなり、違う人が社長になったかと思ったら、
会社ごと消えてしまった。

卸を請け負った会社は、返品された際に料金を販売店に返却する必要があるが、
返品の山にも、返却&請求するところもなく大変なことになったという。
また、在庫をあずかっていた倉庫会社は、倉庫代を踏み倒されたようだ。

当社は、サポートセンター料金の一部(売上計上しなかったのでセーフ)と労力が被害にあったともいえるが、
周りに比べると極小といえた。


ところで、社長のA氏が消える直前に”あらかじ”ブランドをまとめて買い取ってくれ
と言われたのには、非常に驚いた。ブランド...(゚Д゚)ハァ?


また、株主のB氏に、夕方喫茶店に呼びだされ、支払いについて待って欲しいと言われ、
渋々了承したら、寿司屋に誘われたのにも驚いた※

以上


この部分を書いていて祖父に聞いた我が父の若い頃の話を思い出した。
父が大学生のころ、東京で一人暮らしをしていた。あるとき、金がなくなって、
祖父にお金を無心したらしい。
他にも用事はあっただろうが、祖父はわざわざ長野から上京して、お金を貸した。
そのとき、我が父は、「オヤジ、お礼に俺がメシを奢るよ!」といったらしい。。。(つд⊂)ゴシゴシ

本日の仕事
事業計画書を作成してました。

本日のうさぎ
ブラッシングなどをやっていたら、ムカついたようで、フガフガいっていた。

が、無視して続けた。

すると、もらした。

服が...
  
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2005年09月22日

入社式の夜II3

どのぐらい股間に手をおかれていたのだろうか?
すごく長かったのかもしれないし、意外と短かったのかもしれない。

G氏の「そろそろ行こうか」の一言にやっと開放されると安堵のため息を漏らした。
しかし、それもつかの間、今度は、これから六本木に行こうという。

店を出るとX氏はぴったりと僕に寄り添い僕の手を握ってきた。

あなたの狙いはなんなんでしょうか?
混乱したままの僕の怒りは徐々にG氏に向いてきた。

チャンスは、タクシーに乗り込むところだった。5人では、1台に乗れないので
G氏に二人で、話しがあるからと同じタクシーに乗ってもらった。
CTOとは、別のタクシーになってしまったが仕方がない。

タクシーの中で、G氏を問い詰めた。
あの人は、あなたの見ていないところで、僕のチ○コを触るんですよ。
そんで、ずーっとヤ○ザの話を耳元でするんですよ。なんなんですか?
怖いんですけど、なんとかしてくださいよ。一体どんな知り合いなんですか!?

しかし、G氏は、あまり気に留めていないようで、こう言った。
「えー、そんなバカな、ちょっとした冗談でしょう、でもマジ?
まぁ、今日初めて会った人だけど...ま、大丈夫だよ」

既に大丈夫じゃねーんだよ!

しかし、G氏も初めて会った人ということは、素性がわからないということで、
さっきの暴力団の話が、グッとリアルに感じられた。

六本木につくと、今はもうないTOKYOバーに行った。
CTOにさっきのピンチを話していると、彼もタクシーの中で大変なピンチに遭っていた。
X氏になぜ、僕と一緒に仕事しているかなど、よくわからない質問を次々とされ、どんな答えでも、
前席に座っていた彼の背中を、後ろの席から速射砲のように蹴るのだ。
CTOも僕同様どうしていいかわからず、ただ蹴られるがままだったようだ。

TOKYOバーは、かなり混んでいた。
これなら、音もスゴいので、会話もしなくてすむし、適当に帰れる。
いつの間にかCTOがいなくなっているので、探して歩くと、かなりソウルフルなおっさんに声をかけている。
しかも、英語っぽい。
奴は何をしているんだろうと思って、近くで待っているとすぐに戻ってきた。
何やってんの?と聞いたら、声かけて来いと、放送会社の社長M氏に指令を受けているという。
「え、ナンパ?でもキミあれ外人のおっさんてゆーか、男なんですけど...」
「そう、彼を指定されて、アイアム、ケータイ、ナンバーワンって言えって...」
「んで?言ったの?」
「うん、言った。」
「なんだって」
「すいませんって、日本語で答えられた...」

ろくでもない夜だった。





本日の仕事
やっと予算が決まりました。

本日のうさぎ
領土拡張を狙っているようですが、防衛しました。

本日のお告げ
いつもお前を後ろから眺めている人は、よくサンドウィッチを食べてるヨ



  
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2005年09月21日

入社式の夜I3

渋谷の円山町にある、いい雰囲気の店だった。

2002年の4月、アンカットのメンバーは5名になっていた。
昨年の12月に3人で再スタートを切った我々は、O氏の営業外人部隊のおかげで
安定収入を得ることになり、2名の増員をしていた。
以前より入社を約束していた女子が正式に社員になったのに加え、幼馴染で
創業時のメンバーでもあるOも勤めていた大手ソフト会社を辞めて参加してくれていた。
4月でもあることだし、入社式の真似事でもしようということになり、G氏の
経営している店で祝杯をあげることにしたのだ。

そのとき、我々とは別の席で、G氏は3人で飲んでいた。
途中、軽く挨拶に行くと、G氏は他の二人を紹介したいから、そっちが終わったら一緒に飲もうと言われた。
人見知りするタイプのため、正直、迷惑だと思ったが、会社を始めて間もないので、人と出会うチャンスは
逃すべきではないかもしれないと思いなおして、終わったあと同席することにした。

そのときは、G氏についてもよく知っていたわけではないし、他の二人も年上の
ようだったので、一人では気疲れしそうだなと思って、CTOを道連れにすることにした。

紹介された二人はともに社長で、放送会社経営のM氏とIT系の会社経営のX氏だった。
どうやら話は、例のソフト電池の契約のようで、

(ほほぅ、さすが、こうやって交流は広まり、ビジネスになっていくのだな)
とこのときは思った。

席についてしばらくたつと、いつの間にやら会話は、僕とX氏、G氏とM氏とCTOの2つに別れた。
時間がたつうちにX氏は、妙に僕に突っかかってくるようになってきた。
僕は会社を経営して、他の会社の経営者とあまり会ったことがない時期で、それは自分の
至らなさを戒めてくれているのだろうかとなるべく好意的に解釈しようと思ったのと、
G氏の大事な知り合いであろうから、失礼があってはイカンという気持ちから、本当なら怒るところをグッと堪えていた。

しかし、徐々に言動はエスカレートしていき、どーせ、お前の会社は坊ちゃんの遊びだろう?等
いろいろ非難めいたことをストレートに言うようになってきた。
いい加減、怒るぞと思ったところに、どういう展開だったのか、急に暴力団の話になった。

お前は、首筋に日本刀を突きつけられたことがあるのか?
( ゚Д゚)ポカーン

親のところに街宣車がきて、自分のことを非難されたことがあるか?
( ´д` )ママ…

その恐怖を知っているか?
。゚(゚´Д`゚)゚。

社長としてその覚悟はあるのか?
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

ひるんだ気持ちを見透かされたのか、彼の手は自然に僕の股間のうえにおかれ、
混乱した僕はどうしていいかわからなかった。(´Д`υ)


つづく




本日のうさぎ
また噛まれて、血が出た。
ムカついたけど、見ていたらかわいいのでなおった。

本日のお告げ
もし、今あなたが申し込むと小金を手に入れる運の獲得が可能です。
  
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